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俺に実験手法を教えてくれるはずだった先輩が体調不良のため長期休暇。しかも実験手法はどこにも書き留めていないという。そのため、サーバーに残っている結果から実験手法を推測して、そして、分からないところは自己流でやらなきゃならん。まぁ、まだ実験手法を考えがえているだけで実際に実験を行っていないんだけどね…
ただしね、言っちゃ悪いかもしれんがこれが楽しいんだ。クリアすべき課題があって、そのために頭を働かせる。多分実際に実験して失敗したらいやになるんだと思うけど、考えている間は成功のイメージしか思い浮かんでないからな〜。しかし、失敗したその時は、問題点を整理し、次はどうやったら成功するかをイメージしていくようにすれば…失敗し続けない限り楽しいんじゃないかなと思う。何より、自分で考えた実験をできるっていうのがいいな。
とりあえず、上司と相談しつつ、自分の考えがどんどん研究に反映されるように頑張ろう。
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仕事帰りに会社の人たちと一時間半フットサル。全力で走り回り体力を使い切るのは凄く気持ちいい。中学校や小学校では他人にまけているからという理由でこんなに気持ちいいことを逃していたのはもったいないな〜。ま、俺まだ若いつもりだし、これからこれから。ひざには気をつけなきゃならんがな。
リラックスして寝れるよ〜。
「当然」と思ってしまう心 2
だが、親父は俺を育てたいから育てているのではなく、俺が言うことを聞くから育てていたということになる、という考えはどこか納得がいかなかった。それはあまりにも単純すぎる気がしたからである。自分の理想通りに子供が育つ、そんな希望を全く見ない親がいたら、それはそれで非現実的だと俺は思う。そこで、俺はHiroの家に遊びに行った時、Hiroのお母さんが言っていた言葉を思い出した。
「一人目(の子供)はとにかく大変なのよ。もう、一人前にしようと必死なの」
この言葉を思い出して、もう一歩、考えられるようになった。そう、俺の親父は俺を一人前にしようと必死だったのだなと。
そのころの親父にとっての一人前とはなんだったのか?それは俺が親に聞かなければ分からない。だが、俺が受けた経験からすれば、それは世間一般の「優秀な人間」の部類に入ると思う。文武両道、親孝行、みなに優しく、向上心が高い。そう、俺の親父は必死だったんだと思う。俺をいい子に、勉強のよくできる子供に育てるために。これはまた、いつか書いた勉強嫌いの理由にも繋がると思う。
一人前の人間は、親の言うことは聞いて当然、勉強はできて当然。そういう心が親(特に親父)の中に強く根付いていたんだと思う。だから、いうことを聞かなければ怒鳴るし、勉強ができなくても怒鳴る。親孝行は当然の義務、中学校でテスト平均80ぐらいの学力を持つことも当然の義務である。俺はそういう考えを小さいころから教え込まれてきた。
自分はその義務を、それなりに遂行してきたと思う。反抗期はないし、テストの平均は80以上である。ただ、もしそれが、やって当然の義務ではなく、親が困るよりは喜ぶ姿を見たい、自分にとって勉強が好きだ、という考えの下に行動した結果であればどれだけ良かったか。そう考えると、無意識のうちに、親孝行やある程度高い学力を義務化してしまったことが悲しくなるのである。
本文内でコメントに対する反論をさせていただくと、祖母や親が俺からお土産をもらって喜ぶ姿が俺の中で想像できなかったわけじゃない。ただ、実際に東京駅に着いていざ買うとなったときに、お土産を家族に買うことに抵抗を感じた自分がいたからこういうことを考えたわけである。結果的に買わなかったのは、自分がその抵抗に負けてしまったわけで、それについては自分の心が弱かったとしか言えない。
だが、これから自分が親孝行、祖母孝行、その他たくさんの人に良いことをするために、自分の中のそのような心理的抵抗は邪魔なんだ。だから、その心理的抵抗の原因を探して、心から取り除く必要がある。俺が考えた結果、それは親父の教育方法であったと思う。ただそれだけである。
お母さんお父さんに誤解しないで欲しいのは、別に親父たちの教育方針を全て否定しているわけじゃない。高い学力、人に善行を尽くすってのは人生を豊かにするツールであり、それを俺に備えさせてくれたという点で、自分は親の教育に感謝しなければならないと今なら思える。ただし、それが当然であると思うことによって、達成感、感謝の気持ち、自信というツールを俺からなくしてしまったんだとも考える。どのツールも同じくらい大事であるが、今回の自分の行動は後者のツールが俺の心に足りなかった結果である。
もちろんね、難しいと思うよ。ガキのころの自分が「お母さんが喜ぶからお手伝いして欲しいな」とか言われてもさ、「じゃあ、お母さんが喜ぶ顔をみたいから手伝いしよう」って思うかどうかなんてわからねー。遊びたいという気持ちが勝ってたかもしれない。ガキのころの自分に知識がどれほど人生を豊かに出来るかなんて理解できていたとは思わん。正直、大学入ってちょっとするまで、理科、数学以外の学問なんて世の中に必要ないと思っていたしな。だが、もし俺の親が、子供はオトナのように振る舞い物事を理解することはできない、ということを理解して叱る以外の方法をもう少し取り入れていたら、きっと変わっていたはずである。
そして、俺の文の書き方の下手さゆえか、親父に自分のしたことの責任をなすりつけているみたいだけど、決してそんな考えの元に書いているわけじゃない。して当然、出来て当然っていう俺が考えるきっかけは親父の教育だ。しかし、その考えに22年間囚われていたのは他ならぬ俺である。今回、自分が何に囚われていたかってのを気付いたから書こうと思ったわけで、これから自分のこういう部分を変えていけば自分がよりよい人になると思ったわけです。そして、自分を変えるためには、人に善行をつくすという行為を当然の義務ではなく、自分が選択する行動だと認識する必要があった。それには、親父の教育方法と向き合う必要があった、ということです。
それだけなら自分の心の中にとめておけばいいものをブログに書いたのは、自分がこういうことに気付けたってことを外に出すことによって自己満足を得るからなんだけどね。もちろん、書き言葉にして整理するっていう意味もあるけど。
では、寝ます。
「当然」と思ってしまう心
これは、帰省先から帰り思ったこと。
実家に帰る前、俺は家にお土産を買って帰るかどうかで悩んでいた。買って帰ったら親が喜ぶだろうな〜、とか考えつつ、家から水戸駅まで結構長い距離を歩くので、荷物が多くなるから却下した。あんまり歩かずにすむ東京駅で買っていきゃ間に合うだろうと思っていた。だが、いざ、東京駅につくと買う気が全くなくなってしまったのである。なんというか、めんどくさくなって、別にいいや、と思ってしまった。
だが、不思議である。会社の人たちには福井でお土産を買ってあげようと固く思っていた。なんというかみんな出張先で色々買ってきてくれるので、俺も絶対買わなきゃなと思ったのである。俺は22年間ずっと俺に投資をしてくれた親より、たまにお土産をくれる会社の人たちに恩を感じたのである。そう思った瞬間、かなり悲しくなってしまった。
自分は、別に人に与えることを嫌がっている人間ではないと思う。アメリカの友達には別れ際に7時間かけて折ったドラゴンを渡したし、今も今月帰るフランス人のインターン生のために7時間ドラゴンを折っている。そのために、2万円でペーパーカッターなどの工具もそろえた。アメリカではみんなに餃子作ったりしたし、日本でも同期にたまに料理振舞ったりもしている。まぁ、それは自分の折り紙や料理が認められるという自己満足があるからできることでもあるのだろうけど、与える気になれば手間はあまり惜しまない人間ではあると思う。
ただし、肝心の家族に何かを与えようと思う段階になって、俺はものすごく小さな手間を惜しんだ。晩飯を買いに行った東京駅のコンビニにはひよこや東京バナナがあった。しかもたったの千円である。でも、俺はそれをとらずにお茶とおにぎりだけをとってレジに向かった。なんで自分は、本来一番恩を感じるはずの親に小さな手間をかけることを惜しむのだろうか…と帰りの電車の中で会社の人たちへのお土産を運びながら考えたのである。
今まで育ててきた親への恩、どこかで俺はそれを感じてないんじゃないかと考えた。そう考えた瞬間に、一番納得の出る答えが出てきた。そう、俺はどこかで、親が子供を育てるのは当然のことであり、感謝することではないと思っていたんだと。んで、俺がそう考えるようになってしまったのはなぜか?と考えると、ここでまた親父の教育の登場である。
俺は反抗期を逃した。つい最近、反抗期になったなんて書いたが、まぁ、正直あれぐらい可愛いもんだと思う。だが、別に「なぜ自分は親の言うことを聞かなければならないのか?」という疑問を小さいころに持たなかったわけじゃない。その疑問を親父に対し口にしたのは怒られたからなのか、ふと疑問に思ったからなのかは忘れた。ただ、答えは覚えている。「親が育ててあげているんだから親の言うことを聞いて当たり前のこと」だと。その時俺は、自分は親父の言うことを聞くという対価を払うことによって、育ててもらっているのだと解釈したんだと思う。今まで俺が親にしてもらったことは、俺が対価を払ったから当然もらえるものであり、恩を感じるものではないと。だから、頭の中にUGAの学費が思い浮かんでも、俺の手は1000円の東京バナナを手にしなかった。
この答えに辿りついた時、とても悲しくなってしまった。何が悲しかったって、あんな答えを言った当時の親父が哀れで仕方がなかったのである。だって、親父の答えによると親父は俺を育てたいから育てているのではなく、俺が言うことを聞くから育てていたということになる。自分の子供が自分の子供であるがために育てるんじゃなく、自分の言うことを聞くから育てている。そこにだ、小さいころの俺を育てているときの親父の余裕のなさみたいなものが見えてしまった。
ごめん、疲れた、続きはまた今度。
実家
みなに俺のおばあちゃん家は寺だと言っていた、がどんなお寺かちゃんとしゃべったことがないと思う。ってことで折角デジカメ買ったんだから色々写真を撮ってきた。
ここ願浄寺が我が父方のおばあちゃんが住むお寺である。横にある鐘は毎朝五時におばあちゃんが鳴らしている。小さいころは怖くて仕方がなかった鐘の音もいまやぐっすり眠って聞こえない。
太鼓なんかもあるよ。
あと歩いて五分ぐらいのところで海と山が一望できるところがある。本当は夕日を撮りたかったが残念ながら夕時になって雲がかかってしまった。しかし、霞がかる海と山もきれいじゃないってことで
夕暮れはこんな感じ
ちなみに飯もマジ美味い
あわび。動いていた。
バーベキュー。ハタハタもサザエも肉も美味い。
デザートの桃。言うことなし。
食って寝てばっかだがリラックスできたよ。