「当然」と思ってしまう心 2

だが、親父は俺を育てたいから育てているのではなく、俺が言うことを聞くから育てていたということになる、という考えはどこか納得がいかなかった。それはあまりにも単純すぎる気がしたからである。自分の理想通りに子供が育つ、そんな希望を全く見ない親がいたら、それはそれで非現実的だと俺は思う。そこで、俺はHiroの家に遊びに行った時、Hiroのお母さんが言っていた言葉を思い出した。


「一人目(の子供)はとにかく大変なのよ。もう、一人前にしようと必死なの」


この言葉を思い出して、もう一歩、考えられるようになった。そう、俺の親父は俺を一人前にしようと必死だったのだなと。


そのころの親父にとっての一人前とはなんだったのか?それは俺が親に聞かなければ分からない。だが、俺が受けた経験からすれば、それは世間一般の「優秀な人間」の部類に入ると思う。文武両道、親孝行、みなに優しく、向上心が高い。そう、俺の親父は必死だったんだと思う。俺をいい子に、勉強のよくできる子供に育てるために。これはまた、いつか書いた勉強嫌いの理由にも繋がると思う。


一人前の人間は、親の言うことは聞いて当然、勉強はできて当然。そういう心が親(特に親父)の中に強く根付いていたんだと思う。だから、いうことを聞かなければ怒鳴るし、勉強ができなくても怒鳴る。親孝行は当然の義務、中学校でテスト平均80ぐらいの学力を持つことも当然の義務である。俺はそういう考えを小さいころから教え込まれてきた。


自分はその義務を、それなりに遂行してきたと思う。反抗期はないし、テストの平均は80以上である。ただ、もしそれが、やって当然の義務ではなく、親が困るよりは喜ぶ姿を見たい、自分にとって勉強が好きだ、という考えの下に行動した結果であればどれだけ良かったか。そう考えると、無意識のうちに、親孝行やある程度高い学力を義務化してしまったことが悲しくなるのである。


本文内でコメントに対する反論をさせていただくと、祖母や親が俺からお土産をもらって喜ぶ姿が俺の中で想像できなかったわけじゃない。ただ、実際に東京駅に着いていざ買うとなったときに、お土産を家族に買うことに抵抗を感じた自分がいたからこういうことを考えたわけである。結果的に買わなかったのは、自分がその抵抗に負けてしまったわけで、それについては自分の心が弱かったとしか言えない。


だが、これから自分が親孝行、祖母孝行、その他たくさんの人に良いことをするために、自分の中のそのような心理的抵抗は邪魔なんだ。だから、その心理的抵抗の原因を探して、心から取り除く必要がある。俺が考えた結果、それは親父の教育方法であったと思う。ただそれだけである。


お母さんお父さんに誤解しないで欲しいのは、別に親父たちの教育方針を全て否定しているわけじゃない。高い学力、人に善行を尽くすってのは人生を豊かにするツールであり、それを俺に備えさせてくれたという点で、自分は親の教育に感謝しなければならないと今なら思える。ただし、それが当然であると思うことによって、達成感、感謝の気持ち、自信というツールを俺からなくしてしまったんだとも考える。どのツールも同じくらい大事であるが、今回の自分の行動は後者のツールが俺の心に足りなかった結果である。


もちろんね、難しいと思うよ。ガキのころの自分が「お母さんが喜ぶからお手伝いして欲しいな」とか言われてもさ、「じゃあ、お母さんが喜ぶ顔をみたいから手伝いしよう」って思うかどうかなんてわからねー。遊びたいという気持ちが勝ってたかもしれない。ガキのころの自分に知識がどれほど人生を豊かに出来るかなんて理解できていたとは思わん。正直、大学入ってちょっとするまで、理科、数学以外の学問なんて世の中に必要ないと思っていたしな。だが、もし俺の親が、子供はオトナのように振る舞い物事を理解することはできない、ということを理解して叱る以外の方法をもう少し取り入れていたら、きっと変わっていたはずである。


そして、俺の文の書き方の下手さゆえか、親父に自分のしたことの責任をなすりつけているみたいだけど、決してそんな考えの元に書いているわけじゃない。して当然、出来て当然っていう俺が考えるきっかけは親父の教育だ。しかし、その考えに22年間囚われていたのは他ならぬ俺である。今回、自分が何に囚われていたかってのを気付いたから書こうと思ったわけで、これから自分のこういう部分を変えていけば自分がよりよい人になると思ったわけです。そして、自分を変えるためには、人に善行をつくすという行為を当然の義務ではなく、自分が選択する行動だと認識する必要があった。それには、親父の教育方法と向き合う必要があった、ということです。


それだけなら自分の心の中にとめておけばいいものをブログに書いたのは、自分がこういうことに気付けたってことを外に出すことによって自己満足を得るからなんだけどね。もちろん、書き言葉にして整理するっていう意味もあるけど。


では、寝ます。