母国語

GREの練習テストが終わった。結果は760と600。前と同レベルか〜。でも、これぐらいなら全然OK。


さて、ボストンキャリアフォーラムに行くに当たって日本語と英語のレベルをレジュメに載せなきゃいかんわけですが、そのレベル分けというのが


1.会話レベル
2.ビジネスレベル
3.母国語レベル


なのです。で、一つ疑問。


日本語であれ英語であれ、いくら母国語がその言語だったとしても教養がなければビジネスレベルにはいかない。アメリカ人のNativeで俺より英語の使い方が間違ってるやつも少なくはない。んでだ、そう思うと俺も日本語が母国語でも日本語で論文書いたり書類を作成したりしたことが全くない。で、結局のところどうビジネスレベルが母国語レベルに劣るところというのが分からない。というか母国語レベルの定義があまりに曖昧だと思う。


で、これはもう何人かの友達には話したことがあるけど、母国語レベルの定義を考えてるときに思い浮かんだのが、母国語レベルというのは思い浮かんだイメージやアイデアを直接その言語の言葉にできるレベルということではないかなと。つまり日英バイリンガルなら思ったことを英語で言いたい場合にまず日本語で考えてから英語にするのでなく直接英語で話す。


この考えが思いついたのはキジマの授業の英文を俺が訳していたときだったかな。リスクマネージメントの英文で、内容は難しいっちゃ難しかったけど分からないわけではなかった。しかし、訳すのにはどうしても英和辞書が必要だった。決断とDecision。意味は同じでしゃべってる時ならどちらも同じぐらい使いこなすことのできる自信はあるんだけど、英文を訳しているときはDecisionって決断って言うんだなって考えれなかった。他にもContributeとかInvolveも辞書引かないと訳せなかったな〜。


で、なぜパッと訳せないかというと、それは多分、俺の中で英語と日本語を直接つなげる思考回路がないからなんだと思う。英語から直接日本語にするのではなく、英語で理解したことを頭でイメージして、そのイメージを日本語にしなきゃいけなかった。そして、俺は日本語でリスクマネージメントのことについて習ったことはない。つまり、リスクマネージメントについてを説明する際の言葉遣いなど全く知らなかった。だからイメージを日本語でアウトプットするときに辞書の助けが必要だった。と考えた。


ちなみに辞書で引いた言葉がイメージと違ってたら、引いた言葉から似たような言葉を連想して、英語で出来たイメージに合わせるという作業はできるわけである。これは日本語の本をそれなりに読んで頭の中にある程度日本語の単語力があるからできた。結果、直訳ではないがイメージ的にはより正確な訳が出来てたと思う。ちなみにキジマ曰く俺の訳はその授業の講師の訳よりすごかったらしい。


逆に日本語を英語にしてといわれる場合も同様である。ただし、こちらは読書の量で完璧に劣る。表現として活用できる言葉の絶対量がすくない。だから、これこれ表現したいといわれて聞かれてもそこまで正確に訳せてないのだと思う。ま、英語の方が表現に乏しいというのもあるんだろうけどね。実際、アメリカ人の友達と会話してる時に曖昧な部分を正確に伝えたいときはKindaを使いまくりである。


で、話を母国語レベルというのに戻す。もしこの考えが合ってるとしたら、母国語レベルのレベルというのはかなり広いことになる。なぜなら、その人の教養のレベルによっては日常会話しか出来なくても母国語レベルなのだから。


まぁ、ボストンのキャリアフォーラムに行く人間は大卒だから教育のレベルは高いだろう。しかし、もし俺みたいに小さい頃アメリカにいて英語は自然にしゃべれるという人で高等教育は日本語でしか受けてない場合はどうなるんだろう?というか俺の場合は高等教育は英語でしか受けてない。俺の日本語は母国語レベルだけどビジネスレベルより上の日本語なのだろうか、それとも下なのだろうか?結局、人事の人たちはどれくらいの言語のレベルを求めるのだろうか。疑問だ。


ま、言語のレベルなんてその人間の一部でしかないわけだし、それより大事なことはいくつもある。コミュニケーションにおいてはしぐさやトーンとか言葉以外の部分で伝わることが多いわけだから、言語できる=コミュニケーション能力高いじゃないしね。二ヶ国語できても言語以外の部分を磨いとかないと就職できんな。そっちの方が心配だ。


つーか、久々にまじめなこと書いたら疲れた。