出来る事、出来ない事

昨日は「努力」とは歩数であり、「才能」とは歩幅であるって話をしました。歩いている道はその努力をする分野であります。歩幅が歩く道によって変わるのはおかしな話ですがそれは目をつむっておいてください。


ということは、どんだけちっぽけな才能であっても、努力をたくさんすればその道においてのエキスパートになれるわけです。この理論で行けば、野球の才能がなくとも努力さえすれば誰でもプロ野球選手になれるということになります。


しかし、現実にはそうもいきません。どんなにがんばったってこんな事できねーよヽ(`Д´)ノなんてのは誰もが体験した事だと思います。俺だってどんなにがんばってもスポーツで弟に勝つなんて出来ないと思ってました。でも、こういう体験は「どんなにがんばっても出来ない」のではなく「出来るようになるまでの努力ができない」の間違いなんですよね。


何かを成し遂げたい時、その成し遂げたいものは自分が歩いている道のずっと先にあるわけです。自分がその道を歩く時の歩幅を知った時、成し遂げたいものに到達するまでの歩数が、だいたいですが、分かります。その歩数を知った時にそれだけ歩く気があるかどうかが出来る、出来ないに繋がるのです。


もちろん、「努力が出来る時間」は限られてるのであまりにも歩数が多すぎたら「これを成し遂げれないのは自分が生まれもった才能のせいだ」と言えるでしょう。でも、実際そういうことばかりではないはずです。俺もスポーツという分野では完全に諦めてました。でもテニスをして、努力をすれば出来るんだという事を知ってから他のスポーツも少しずつするようになりました。やっぱり最初はボロボロだけど、やっていくうちにある程度のレベルには到達できるんです。俺は出来なかったんじゃなくてやらなかっただけだったんです。


「諦めてる」人の多くは才能がないのではなく、努力する気がないだけだと思うんですね。そして「成功している」人の全ては、自分が目標に到達するまでの歩数を知っても決して歩く事を止めなかった人です。


もちろん、何が何でも努力しろとは言いませんが、成し遂げたい事があるのにそれが出来ないと諦めている人がいるならば、そのための努力は絶対に惜しんではいけないと思うのです。


ありきたりだったけどこれで終了…明日からまたネタが…(´・ω・`)