- 勉強と学問

前回は最後にこう書きましたね

学校でする勉強ってのは、現在の学問に至る思考プロセスを復習してるだけだと思うんです。
(中略)
「勉強ができる」ってことは現在の学問における知識をその知識に至るまでの思考プロセスを全て説明されるまでもなく理解できるということだと思うんです。要は「現在」に至る思考プロセスをどれだけよくたどれるかが「できるやつ、できないやつ」の差だと思います。

そう、勉強とは学問のほんの一部分、過去から現在までです。過去から現在までの全てを学んだら学問ができたと言えるのか?もちろんNoです。学問は常に現在進行形です。新しい事実はどんどん発見されています。新しいものの考え方もどんどん出てきます。いままでの思考プロセスを学んだら次はこれからの思考プロセスについていかなければなりません。


しかし学問に身を投じている人たちは思考プロセスについていくだけでなく、自分の思考プロセスで新たな学問の道を切り開いてるんだと思うんです。この新しい道を切り開く人たちが新しい知識を発見し、新たな理論を見出し、その応用でさらに新たな知識を発見しています。要は学問が現在進行する原動力です。当たり前ですか、これはいままでやられてきた思考プロセスを辿るよりよほど難しいことです。過去から現在にいたるまでの思考プロセスというのは習うことができます。人に教えてもらうことができるわけです。


しかし、学問の道の切り開き方は人に教えてもらうことができません。どの理論をどういう風に応用して知識を得るかということを自分で考えて、実践しなければならないのです。できるか否かはどれだけ現在に至る学問を理解しているかとひらめきが重要になります。全ての学問は過去の思考プロセスの積み重ね、それを理解せずして新たな道を切り開くことはできないです。そして過去の思考プロセスを辿るばかりでは新たな知識を得ることができません。多数の理論と知識を今までにない組み合わせや考え方で応用して新しい道が開けるのです。


どうやって今までにない考え方をするのか?それはもうひらめくしかありません。なら、どうやってひらめくのか?全く分かりません。俺はひらめけるかどうかは99%才能と運にかかってると思うんですよ。だから誰でもアインシュタインになれるわけではない。勉強以上の学問っていうのは努力だけではたどり着けない領域だと思うんです。


それじゃあ努力なんかしても才能がなければ勉強するのは無駄なのか?これも違うと思うんですよね。まず過去に踏まれている思考プロセスを理解しておかなければならない。ここで努力を怠った人がひらめいても学問の新しい道を切り開くなんてできないでしょう。それとひらめく才能があるかどうかを知るにはまずひらめこうと努力しないと分からない。才能が有無の前にやっておく努力はだれでもあるということです。才能は結果にかかわってくるだけです。


俺はただいま大学の1年生。まだ「勉強」の段階です。しかしいずれは研究者になって「道を切り開く」人の一員になりたいと思っています。そうなれるための努力を最大限やっているかと聞かれると( ̄〜 ̄)ウーンとなってしまいますが、確実に勉強の階段は上がっています。しかも結構快ペースと自分で思っています。ですが、いつか俺にも思考プロセスの限界が来るしれないという不安ももちろんあります。というか確実に来るでしょう。でも、その時に努力できるかどうかが本当の俺の学問における才能と思ってます。ってことでその日が来るまでは生まれ持った才能に甘えつつ、その日が来たときに限界を超える努力ができるよう、精一杯大学生活を楽しみたいと思います。


終了