知識と理論

まずはgoo辞典で調べた知識と理解の定義から…


知識とはある物事について知っている事柄

理論とは科学研究において、個々の現象や事実を統一的に説明し、予測する力をもつ体系的知識。または、実際の経験から離れて純粋に思考の中で組み立てられた知識。


だ、そうです。ちなみに理論の二つ目の意味は実践に対立して否定的な意味で使われるだとか。


さて、この定義のままでは俺の考えてる学問の成り立ちは成立しません。goo定義によると理論は科学研究における体系的知識ですから、つまり社会科学や文学への応用が利かない。ということで勝手に定義を変えます(ぉぃ。


理論とは個々の現象や事実を統一的に説明し、予測する力をもつ体系的知識。


であります。
…「科学研究において」を抜いただけじゃねーか!■━⊂( ・∀・)彡 ガッ☆`Д´)ノ

ま、こうすれば全ての学問に理論を入れることができます。科学研究という壁がなければ歴史には歴史の理論、文学には文学の理論ができるわけですね。しかし、歴史や文学は個々の現象や事実が捉え方次第で変わるので理論によって統一的に説明するのは難しいし、科学と比べて立証手段がとても少ないです。だから多分普通の定義に入ってないんでしょうね。


さて、理論の定義によると理論は知識の一種です。ただし、他の知識を統一的に説明できる、そして予測ができるという特殊な力があるわけですね。「人間の脳はチンパンジーの脳よりでかい」という事実があります。これ自体は単なる知識です。何の説明もしないし、予測もできません。「人間の脳はチンパンジーのよりでかい、だから人間の方が知能が高い。ならば脳の大きさは知能の高さに比例している」こうすると理論になります、知能の高さを説明してますから。そして、二つの生物を比べたときの知能の高さを脳の大きさから予想できるという力も持ってます。「人間の脳はチンパンジーよりでかい」という単なる知識から2,3歩踏み込んで考えて理論に到達するわけですね。


では、勉強(高校までのね)ができる人とできない人の違いは何か?と考えると、物事を学んだ時に「人間の脳はチンパンジーよりでかい」で終わってしまうか、それともその2,3歩先まで考えられるかどうかだと思うんですよ、で、それは次回。


…また、簡単なことを難しく説明してしまった気がする。