授業で発言

最近、授業で発言する機会が増えたと思う。まぁ、中学校時代の親父の叱咤を少し乗り越えて、自分の授業での発言に少しずつ自信がついた証拠かなとか自己満足していた。でも、ふと考えると、親父は成績について怒っただけで、別に授業での発言とかでお咎めを食らったことは…まぁ、親父に怒られてばかりで間違えるのが怖くなってたってのはあるかもしれないわけだけど。中学校入るまでは俺、授業での発言数凄く多かったような気がする。確か意見をはっきりといういい子という評価を小学校高学年の担任の先生にもらってた…気がする。というか、親父は学校の先生にはどしどし質問して意見を言ってけっていう教育方針でしたね。


でも、高校、大学時代は数学とかでいち早く答えとかが分かっても中々いいだせずにもどかしい思いをした記憶ばっかりだ。正解がない意見なんていおうと思ったことすらない。授業で発言することなんて当てられない限りしてなかった。まぁ、ある程度恥ずかしくなるってのは誰にでもあることだと思うけど、俺の場合少し極端な気もする。ってことは、中学時代が俺を変えたわけで、中学時代の俺に何があったかを少し考えてみた。


んまぁ、中学校時代って言えば、まだドモリまくってたから、多分それが恥ずかしかったってのはあるんだろうな〜。あと、英語の授業で発言するたびのみんなからシローイ目で見られるのは痛かったな〜。そりゃ一人だけ発音違うもんな。今思えば、俺が日本人と極力英語を話したくない理由はここにあると思う。ちょっといじめられたりもしたしな〜、英語は。これから仕事上で日本人の前で英語しゃべらなきゃいかんと思うと少し鬱だけど、日○には俺の英語に違和感を覚える人は少ないって人事の人も言ってくれたし大丈夫だろ。


しかし、何より、授業で発言をするということに一番恐怖を与えたのは俺の中学校の担任の先生だと思う。前田先生。余談だが自分でおもしろいと思っているのかなぜか「当たり前だのクラッカー」っていうことが多かった。正直この先生は怖かった。どう怖かったって言うと、とりあえずなんで怒られたかは覚えてないけど怒られた記憶だけはある。多分、授業で間違えるたびに怒られてたんじゃないかな〜。こっぴどく。というか何か言うたびに怒られていたような気がする。不機嫌なときが多かった先生だな〜。


そういや、在日朝鮮人問題とか障害者差別に対して凄い熱心な先生だったな。怒られるたびに差別とかいじめとか申し訳ないことを朝鮮人にしたとかに結びつく…今思い出すとなんでそういう結論に行き着いたのか分からん。今思えば、この先生の下に二年間…どんだけ怒られたんだろう(´・ω・`)。褒められたことと言えば学校の平和記念日のイベントに熱心に取り組んだことかな〜。ふ、今は日本人は朝鮮人を不当に差別したとか、日本は戦争で悪いことばかりしたとか、正直そういうことを本気で信じ込んで、そのためのイベントを熱心にしていた自分がいやになるべ。


でもま〜、あのころの俺は「この叱られた経験がいつか俺のためになる、いつか感謝することになる。俺のために叱ってる」って言葉を信じてじっと耐えてたんだから…純粋ないい子だったんだな〜中学校俺。今の俺はそんな純粋さの欠片もないぜ。しかし、今なら、ブログの上なら、言える…


前田先生…


戦争はどちらかが悪いで片付けられるほど単純じゃありません。しかも今を生きる中学生にその責任を負わし、罪悪感を感じろというのは間違っています。


障害者を思いやるのは大切ですけど、そのためにクラスのその他30名をないがしろにするのは間違っています。


あなたのお叱りの中で、俺の心の中に残っているものは一つもありません。感謝することはないでしょう。俺のために叱ったっていうのも嘘でしょう。何かにつけて、差別、いじめに結びつける。本人にその気はありません。あなたの価値観だけで判断しないでください。自分が差別、いじめと戦っているという満足感を得るために生徒を叱るのは間違ってます。


多分、二度とあいたくない人#1です。


ふー、書いたらすっきりした。しかし、自分で言うのもなんだけど、先生や親に従順な子供ってやっぱり困りもんだね〜。今頃になって反抗期かよって自分でも思うけど。まぁ、いいや、寝る。