怪我の原因

さて、怪我の直接の原因はもちろんテニスで膝をひねったのに無理やり空手の練習をして、空手の練習中でも痛かったのにそれでも我慢して練習を続けたせいなのであるが、問題はなんでそんなに無理をしてまで練習したのかということである。


その答えは案外簡単であって、それは自分が無理を我慢してまで練習する自分が偉いと無意識であれ意識的であれ思っているからである。もちろん、これは今回の結果をみても間違いであることは明らかだし、例え今回の怪我がなくても意識的には決して正しいことではないとはウスウス感じていたわけで。しかし、決して正しくないと分かっていても無理をしてしまうのはなぜなんだろうと考えて一番に思い浮かぶのはうちの父さんである。


いまでこそ、まぁ丸くなった父さんであるが、正直子供のころに無理するなとかいう言葉をかけられた覚えがないのである。というか自分がある程度の結果を残してまぁいいかとかと思ってると決まって「まだまだできるはずだ」とかいう親父である。口癖は「やるからには一番上を目指せ」とか「上には上がいる」である。自分だって大変なんだとか子供なりに反論しようものなら親父、というか多分親父じゃなくても年配の堅苦しいお方なら誰でも使うであろう「自分の時代には…」が飛び出して自分の大変さがいかに小さいものかということが強調されるわけである。つまり「とことん努力する」という価値観と「自分の苦労なんて大したことがない」という価値観を子供のころにいやというほど教えられてきたわけである。


この二つの価値観をあわせれば、少々の痛みでも「これぐらい大したことはない」と思い込み、そして「とことん努力」しなければならないので痛くても無理して練習してしまうわけである。「無理をするのがえらい」という意識もこの二つ価値観の賜物であって、痛かろうと辛かろうと練習できるなら練習しなければならないという意識が働いてしまう。


まぁ、親父の「一番上を目指せ」の後にはとってつけたように「とことんやった後で結果として一番上になれないならそれは仕方がない」という言葉が続くのだけれど残念ながら自分で「できたかもしれないこと」というのは無限に考え付くことができるので案外、一度努力しはじめるとよほどのことがない限り止れないという性格である、やはりどうあっても無理をしてしまう。だから今回の怪我は親父の教育によるところがあるような気がしてならないわけである。


しかし、残念ながら、この価値観は(というか多分どんな価値観であれ)100%間違っているというわけでも100%正しいというわけでもないのである。上を目指すというか何事でも上達したければある程度の痛みや苦痛に耐えることはやっぱり必要である。この痛みや苦痛は別に今回みたいに肉体的なことに限らず、いくら努力しても目に見える上達がない時期に感じる精神的なものも含めてである。ただし、耐えてばかりの状態でいると肉体であれ精神であれ壊れてしまう。子供のころに植えつけられた価値観によるところがあるにしても、やっぱり結局はその価値観による理想と現実のバランスをうまくとることのできなかった自分が一番バカだった、ということになる。


あぁ、やっぱりいくら考えても結局原因は自分に戻ってくるよ(´・ω・`)。


ま、とことん努力する自分は嫌いじゃないし、ある程度の無理をする自分も嫌いじゃないんで特に自分を変えるつもりはないけど。願わくば次からはもう少し利口に努力できたらなと思う次第でありました。