色々と考えてみよう…

id:KEN_NAITOさん経由で内田樹の研究室学びについてを読んだ俺、本当は今日見た指輪物語のことを書こうと思ったけど考えが熱いうちにこっちのことを書いてしまった方がいいかなっつーことで。で、リンクたどるのがメンドクサイ方々のために引用しときます…

「学び」のもっとも起源的な形態は「母語の習得」である。



「そろそろ学齢期だし、ぼちぼち日本語でもやっとくか」というような判断をなされた上で母語習得を始める赤ちゃんというものは存在しない。赤ちゃんが母語を学んでいるとき、赤ちゃんには「言語」という概念がない。もちろん「コミュニケーション」という概念もないし、「熟練した母語運用能力を生かした職業に就きたい」というような就活事情もない。赤ちゃんは「自分が何を学んでいるのか知らないことを学んでいる」。それどころか「『学ぶ』とはどういうことかを知らないうちにすでに学んでいる」のである。これが「学び」という遂行的なプロセスの本質である。



ほとんどの人は「学び」というのは、「有用な知識や情報や技能」を主体的に獲得してゆくことだと思っている。違いますよ。



「これから学ぶこと」は定義上「まだ学んでいないこと」である。

「まだ学んでいないこと」が「有用」であるかどうか、どうしてわかるのか?

それが何を意味し、どんな価値があるのか、どうしてわかるの?

もし学ぶ前にあらかじめそういうことが「わかっている」のなら、それは「学び」ではない。学ぶとは、母語を習得している赤ちゃんがそうであるように、自分が何を学んでいるかを知らず、そもそも自分が学びのプロセスに巻き込まれていることにさえ気づいていないというかたちにおいて遂行されるものなのである。

だから、「学校に行って、これこれの知識や技術を身につけたい」というようなことを軽々に口走らない方がよろしいと私はつねづね申し上げているのである。

学校に行くのはよいことである。それはそこにゆくと、「自分がその意味や価値を知らないこと」や「『自分がその意味や価値を知らないこと』さえ知らなかったこと」に偶然ゆきあうチャンスがあるからである。

とても正論、かつ当たり前、かつ斬新な見方。流石、名のある学者さんって感じなのですが、少し疑問が沸いたので…

まだ学んでいない事が有用であるかどうか分からないってのは当たり前ですよね。じゃ、「有用であると予測した」から学ぶってのはどうなるんでしょうか?考えてみると今、俺が大学で勉強してるのは何か(俺の場合、細菌学)を学びたい主体的にと思ってるから勉強してるわけで自分が何を学んでいるか知らないわけではありません。で、ケンさんの所に引用されている文には続きがあるのですがそれがこちら…

そこをうろうろしていると、「あちら」の方から「ぐいっ」と襟首をつかんでくれるチャンスがあるからである。
お母さんが赤ちゃんにことばを教えるときと同じように、「学び」の場というのは学生諸君が主体的決断にもとづいて進んで行くところではなく、いきなり襟首をつかまれて「ひっぱりこまれる」場なのである。

学びの場とは「ひっぱりこまれる」場、では「ひっぱりこまれた」後はどうなるのでしょう?


「自分がその意味や価値を知らないこと」に「ひっぱりこまれた」。その後に「自分がその意味や価値を知らないこと」についてもっと知りたいと主体的に考えて勉強するのも学ぶことではないのか?そう考えていくと「価値があり有用だと考えるから学ぶ」ってのも学ぶことだろうと思うのです。

「有用だと分かっている」と「有用だと思う」はもちろん違います、だから学ぶまで有用だなんて分からないっていう点はかなり合意できるのですが、主体的に知識を獲得するのは学ぶ事ではないって言うのはやっぱ違うと思うんですよね。

じゃ、俺の考える学ぶってなんですか?って感じですが、オレ流学問で、俺は学問ってのは知識の取得、理論の理解そして応用から成り立ってるって書きました。そして今日この記事を見て、ここまで考えて思ったことは主体性があろうとなかろうとこの三つのステップをたどれば「学ぶ」ということになるってことです。


赤ちゃんが言語を学ぶプロセスってのは大まかに言って、親の喋ってる言葉をきいて、それを自分が言って、その自分が発した言葉に対する他人の反応を見てどんどん言語の意味を理解していくって感じですよね?(詳しくないので憶測ですいません)「親の喋ってる言葉をきいて、それを自分が言って、その自分が発した言葉に対する他人の反応を見て…」ここまでは知識の取得。その知識から言語の意味を理解するのは理論の理解。そして言語を習得してから使うのが理論の応用…しっかり当てはまるでしょ?


そして学校でする勉強っていうのはこの三つのプロセスを意識的にやる「学び」の形だと思うんです。だから知らないうちに学んでも知りながら学んでも結局学ぶには変わりがないってことです。