勉強嫌い

テストが迫ったからではなくて面接が迫ってきたから自分の勉強嫌いについて少し考えてみた。だって、エンジニアリングを一から学ぶという意志を見せなきゃならないからね。勉強嫌いです、じゃ絶対落ちる(´・ω・`)。まぁ、もちろん、勉強より楽しいことはたくさんあるから、勉強するよりは楽しいことしたいって人が大半だと思う。でも、勉強するのは嫌いじゃないよって言う人は沢山いる。でも、俺は嫌いなんだ。テスト勉強とかウザイとしか思わない。やりたくないけど仕方なくやってるんだ。


でも、よく考えてみると、俺はこれまでギリシャ神話、社会契約論、学問のすすめ、武士道、第二次世界大戦、とか自分でいうのもなんだけど色々な本を読んできた。しかも、それなりに難しい奴を。それは違う意味で勉強なんだよね。論文とかは遊びで読まないにしろ、生命の仕組みにはいつも驚かされるし、周りを見てじつはこうなってるんだな〜って考えたりするのは好きなんだよね。要は自分で勝手気ままに勉強するのはまったくかまわないんだ。


じゃ、テスト勉強と自分で勝手に勉強する違いは何か?それは自分が勉強したことに対して評価が降りるかどうかの違いでしかない。ということは、別に勉強が嫌いなんじゃなくて、それを人に評価されるのがいやだ、ってことだろう。それはテストの点数としてかもしれない、それとも自分が学んだことを人に話してみたときの反応かもしれない。なんにせよ、それがいやなのだろうと思う。まぁ、仕事も評価は下るから、これから企業さんのために勉強するのはどっちかって言うとテスト勉強に似てるかもね〜。


では、なぜ評価されることを嫌がるのか?他人からの評価は自分がどれだけ学べてるかということを確かめる上でとても大事なステップだ。テストの点数が悪ければ、それは授業の内容が分かってないってことだし、自分が学んだことを人に一切話さなければ、もし学んだことが間違っていたら間違ったままだ。逆に点数が高ければ自信につながる、学んだことを話した際の人の反応がよければ、それもまた自信につながる。要は評価が高い場合は自信になるし、それが続けば別に評価は怖くなくなるはずだ。自信があれば悪い評価もしっかり受け止めて次は高い評価を得ようとするだろう。俺の場合、成績は子供のころから上の方。努力した分報われる喜びというものは十分知っているはずなんだ…それでも、勉強はやりたくない。


そして、id:KEN_NAITO:20071201とid:KEN_NAITO:20071203を読んだ時に、自分が評価されることに対する恐れの原因が分かった。親父である。俺は子供のころに勉強で褒められたことがないんだ。中学校の英語のテストで99点を取って叱られたことは今でも覚えている。「アメリカにいたくせになぜ100点じゃないんだ」と。理科のテストで100点を取ったこともある。その時の最初の反応は「みんな100点だったんだろ?」。締めは次も100点取るように頑張れ。テスト平均が85なら次は90を目指せ、90なら次は95を目指せ。上へ上へ、ハードルは上がるばっかりだった。もちろん、テスト平均が前回より下がれば怒られた。子供のころの俺にとって、勉強で評価されるのは苦痛で仕方がなかったんだと思う。高い点をとっても褒められない、自信にならない。満点をとっても大したことではない。しかし、下がれば叱られる。そんなテスト勉強に自ら進んでやる気など起きるわけがない。


ってことは、勉強嫌いの解決方法は簡単である。これから自分で自分を褒めればいい。これまでの勉強してた自分をよくやったって言ってやればいい。高校の頃に大学の単位を30単位取った。本来は3年で卒業できたのである。一年生のとき、生物学系の登竜門、有機化学のファイナルを一人だけ30分で終わらして96点(クラス平均は60前後)。線形代数では数学専攻の周りを差し置いてクラス二位。俺のテストは89点、3位のやつが76点。一位、二位と3位の差はすごかった。それで賞状(&賞金♪)までもらった。俺より上がいないわけじゃない。でも、俺も十分すごい。そして、これからも勉強し続ければ自分が誇れるすごい結果が出てくると。


評価されることを怖がってはいけない。悪い評価はきちっと反省して、よい評価には素直に喜んでこそ進歩できるのだから。


じゃ、勉強しまーす。