映画三昧

一昨日と昨日は映画を見てた。まずは一昨日の夜、皆でMission Impossible 3を見に行く。アクション満載でかなりスリリングな展開。全く目が離せないって感じで面白かったです。


その後Hiroの家で少林サッカーを見る。あほすぎて爆笑。中国アクションコメディーは本当に面白いです。


そして昨日の夜、家でTraffic

トラフィック [DVD]

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を見る。内容は麻薬に関するもので、多数の物語が同時に語られている。映画の趣旨は麻薬が非合法であることによって起こされる悲劇を伝える事。そしてこれを受けてJasonはやはりドラッグを合法化するべきだ。酒を非合法にしたときもこのようなことがおこった。個人の管理さえしっかりしていれば大丈夫などなど俺にまくし立てる。


確かに非合法だから起こる悲劇というのはあるけど合法にしちゃったらそれはそれでまた違う問題が出るだけだと思うんだよな。ドラッグが広まったらアヘン戦争時の中国みたいに国内骨抜きにされるような気がする。


ってことで思い出したのが、日本が日清戦争後、台湾を譲り受けたときも台湾ではアヘン中毒者が沢山いたのですが、日本は50年かけてこれを根絶することに成功。その政策を行った人は当時、台湾総督府民生長官であった後藤新平こちら)。ここで彼の採った政策をWikiから引用させてもらいましょう。

また当時、中国本土同様に台湾でもアヘンの吸引が庶民の間で常習となっており、大きな社会問題となっていた。これに対し後藤は、アヘンの性急な禁止には賛成せず、アヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功し、アヘン患者は徐々に減少した。総督府によると、1900年(明治33年)には16万9千人であったアヘン中毒者は、1917年(大正6)には6万2千人となり、1928年(昭和3)には2万6千人となった。なお、台湾は1945年(昭和20)にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。これにより後藤の施策実行から50年近くかけて、台湾はアヘンの根絶に成功したのである。


これと同じ事をアメリカでやったらどうかね?と思うわけだ。まぁ、アメリカと台湾は違うからちょっと方法を変える必要があるけど、供給でなく需要を減らすことで撲滅するって言うのは悪いアイデアじゃない。いまでもドラッグ教育で減らそうとはしてるけど免許制とかそっちのほうがよほど効果は高いだろう。とそう思わせた映画でした。