天才は99%の努力と1%の才能

有名な格言です、そして、とてもいい格言です。努力が大切だと教え込む時によく使われます。そして、多分それが本来の意味であろうと思うのですが、捉え方を帰れば99%の努力をしても1%の才能がなければ100%には絶対なれない、そういう風にもとれます。努力の大切さを訴えながら、ひそかに才能というものの確かな存在を確認してるんですね。


そして、俺がテニスで学んだことも同じであります。弟との比較しか話していませんが、俺のテニス仲間にも俺より遅くテニスを始めたのにいつの間にか俺よりうまくなってたやつが何人かいます(´・ω・`)。こういうことからやっぱ才能ってあるんだなーとしみじみ思います。しかし、最終的には弟に勝てるようになったことから、努力で才能をひっくり返す事も出来るんだなとも思いました。弟がテニスをちゃんと習い始めたら一瞬で俺を超えるでしょうがね(´・ω・`)。


「努力」についてこの経験で学んだことは、無駄な努力はないということです。弟に負ける⇒やる気なくすの黄金方程式が発動していた時期は弟との勝敗にこだわりすぎて自分なりの進歩を見逃していたんですね。今考えると情けないほどの劣等感をもってました。しかし、テニスというスポーツに集中すると、他人よりかなり遅い速度ですが、確実に進歩する自分が見えたのです。進む速度は違えど、努力というのは確実に人を前に進めていくもの、テニスをして始めてそう感じれたのです。


「努力」が進む行為だとしたら、「才能」というのは人が進む歩幅です。同じ努力をしていれば、才能のある人がない人より早く進歩します。歩幅によっては2倍努力しないと差が埋まらない時もあります。しかし、歩幅が狭い人でも歩幅が広い人より早く歩けばついていくこと、または追い越すことだって出来ます。俺が高校卒業時に弟に勝てるようになったのは俺の歩数X歩幅が弟の歩数X歩幅に勝ったからです。ということはどの分野でも、それなりの歩数を歩けばどんなに歩幅が狭い人でも歩幅が広い人を追い越せます。「才能」とは出来る、出来ないの差ではない、どれぐらいの努力で出来るようになるかの差なんだ。この経験を通じてそう感じました。


「ある分野」という道を進むにおいて、どんなに才能のある人でも、努力をしなければ前には進まない。才能がなくとも努力をすれば前には進む。99%の努力をして才能がない人は80%の努力をして1%の才能を持ってる人よりは前に進んでいる。しかし、才能がない人は生まれもってのハンデを背負っている。まとめるとこんな感じです。


書きたいことはもうちょっとあるけどもう十分長いからそれは次回。